自治会という学問

自治会(町内会)を真剣に考えちゃうぞ

会計をやった話

自治会の書記になって、役員会議に出るようになった。

議事録を作ったりする書記の仕事は、これまでも見てきたので特に問題なくできた。

私のところは、月に1回の役員会議、同じく月に1回の組長会議があり、役員は月に2回会議に出席することになる。

前任者が途中で辞めてしまったため10月から書記になったわけだが、4月の総会まであと5ヶ月しかない。

早速、「自治会のInstagram配信とホームページ作成を予定しています」という回覧を作り、役員会議で議題に出して承認をもらい回覧した。

その時はホームページを完成させなければと少し焦っていた。

ちなみに現在もまだ完成していない。

10月の役員会議の時、会長から「会計さん、決算報告書はどうなってる?」という質問があり、会計さんは「はい、頑張っております」という返事をした。

11月の役員会議のときにも同じようなやり取りがされた。

私はずっと気になっていたことだったので思い切って聞いた。

「会計のパソコンはどうなってますか」と。

すると、会計さんは「分からんのよ」と言って笑った。

会計さんは会議には必ず来ていたが、80代の男性でパソコン作業は苦手な様子だった。

「途中まではできてるけど」ということだったので、「パソコン見てみましょうか?」と声をかけると、「お願いします」とのことだった。

会長もパソコン関係は全く分からないので、この数年、「どうしよう」と私に漏らしていた。

「毎年会計さんが会計ソフトが古いし難しいからやりにくいと言うのよ。なんとかしないと」と言っていて、私は聞いていたけど何もしなかった。

久しぶりに会長に会って痩せこけた姿を見た時、真っ先に会計のパソコンとソフトを思い出し力になってあげなかったことを悔いた。

会計さんから早速借りて立ち上げてみたけど、2008年製のノートパソコンでバッテリーのみでの起動はできず、常に電源アダプタを繋いでいないと途中で電源が落ちてしまう状態だった。

パソコン同様会計ソフトも昔のもので、今年度の会計さんが使ったような痕跡はなかった。

途中までできていたのは「紙」のメモだった。

2年前の役員が新しいパソコンを買ってくれていたのでそこに「出納らくだ」という会計ソフトを入れた。

その準備ができたのが12月で、私は入院していた田舎の母が退院したためパソコンと領収証一式を持って帰り、母が寝てからひたすら入力した。

決算報告書と予算案、お手伝いではなく全部私がやろうと思った。

会計のおじいちゃんは、私に領収証や書類を持ってくる際私の家に辿り着けないことがあった。

私の家を忘れてしまうのか来れたり来れなかったりした。

それから、誰から領収証をもらったか忘れるようで人違いもあった。

おうちでは認知症の奥さんをずっとお世話しているとのことで本人も追い詰められていて、会計の仕事どころではないことはすぐに分かった。

他の役員たちはどう思っていたのだろう。

書記の仕事をしながら年度末の会計監査に向けて会計の仕事が始まった。

捜索模擬訓練に参加した話

私が副会長をしていた平成29年ごろ、「認知症になっても住み慣れた地域で暮らしていけるまち」を目指して、捜索模擬訓練が行われた。

認知症支援介護予防センターから職員さんも見えて、声掛けレクチャーを受け、徘徊している方を見つけて報告するというものだった。

ここ数年はやっていないと思うが、こういう地域の取り組みも「流行り」があるのかもしれない。

 

各組長さんたちも参加して、グループに分かれ、行方不明者役を探す。

もちろん、行方不明者役も事前にお願いしておき、仮の名前(高倉健吉永小百合木村拓哉など)を決める。

私たちは、お名前、顔写真や服装、身長、年齢など予め教えられた情報を頼りに町内を歩き回った。

大人が大勢でやるかくれんぼのようだった。

偶然通りかかっただけの行方不明者役では無い方に声をかけ、怒られることもしばしば。とても怒られた。。。

鎌一本持って歩いているようなおじいちゃんや、寝巻きのような格好で家の前をうろうろしている人もいたりするため、声をかけていいものか戸惑った。

町内を歩き回り、高倉健さんや吉永小百合さんを見つけ出す。

それらしき人を見つけたら、事前に教わった通り声掛けをする。

・ゆっくり近づき、おだやかに話しかける

・後ろから声をかけたり(驚かせるので)、大声を出さない

・短い言葉で、一つずつ話しかける

・こんにちは。今日は寒いですねなど、季節の挨拶をする

・少し休んでいかれませんかなどと提案する

教わっていたのに、みんな足早に近づいて取り囲んで話しかけてしまう。

探していた人を見つけた!と思ったら、誰しもそうなってしまうのかもしれない。

「お散歩ですか?」と話しかけたら、高倉健さんも前もってレクチャーを受けているので、「いいえ、宮崎の息子のところに行くところです」と言う。

あえて歩いて行けそうもない目的地を答えたり、自分は高倉健ではないと言ったりする。

一緒に歩いて、警察に連絡(訓練なので今回は町内会長に連絡)するという流れだった。

みんなが外で捜索模擬訓練を行なっている間に、集会所内では炊き出し訓練も行われていた。

前年に熊本地震が起こったこともあり、集会所で炊き出しができるようにと計画された。

1時間以上歩き回り、疲れて帰ると豚汁とおにぎりが準備されていて、みんなで喜んで食べた。

反省会も行われ、みんなが探し回った高倉健(仮名)さん、吉永小百合(仮名)さん、植木等(仮名)さんなど行方不明者役の方が登場したら、とても盛り上がった。

追いかけてこられて取り囲まれて怖かった、優しく声をかけられ嬉しかったなど、行方不明者役の方の感想などが述べられた。

捜索する側も、話しかける際に注意した点や、今回は訓練だけど、実際に自分の親が行方不明になったら、発見して優しく声掛けできる自信がないなどの感想が述べられた。

 

当時は流されるまま参加した訓練で、初めて行われる行事に最初はみんな硬い表情だったが、終わる頃には団結していて笑顔だった。

自治会(町内会)はめんどくさい、メリットがないと言われるけど、こういうふれあいも時には必要なのだろうと思った。

誰かと話し合って協力することで目には見えない繋がりを感じた。

 

余談:「あと10年もすればほんとに徘徊するから、俺を見つけたら家に連れて帰ってね」と何人かに言われたが、今のところそうならずに済んでるみたい^^

敬老行事に参加した話

慌ただしく書記になったけど、その1週間前の9月下旬、町内で敬老行事が行われた。

対象は75歳以上で、集会所に集まったのは約40名だった。

記念品を150個くらい準備したと聞いたので、町内の75歳以上はそのくらいいらっしゃるのだろう。

65歳以上になると、400名を超えるというので驚いた。

 

私は前述したゴミステーション・防犯灯維持管理費の問題の他にも、せっかく活動をしているのだから、何かしら活動内容を発信できないかと考えていた。

数あるSNSの中から、写真がメインのInstagramがいいなと思い、会長や副会長に提案したところ、会長が「敬老行事の日に役所の課長が見えるから、あなたがやりたいと言ってるSNSをやってもいいか、尋ねてみたら」と言った。

「町内には何をやるにも、『どこの許可を取ってやってるのか』と言ってくる人がいるから、勝手にはできないのよ」とも言っていた。

その通りだと思った。私がいくらやりたいと言っても、自治会にとって有意義な目的がなければ誰も納得してくれないし、どこかの許可が必要なら取っておくべきである。

 

そこで課長に話しかけ、手短に自己紹介をし、自治会の活動をSNSで発信して知ってもらい、関心がない方にも興味を持ってもらいたいこと、自治会に入っていない方にもフォローしてもらい、情報伝達に役立てたいことなどを話した。

すると課長は「いいね!」と言った。

「実にいい!そういう考え方大賛成。僕が全面的にバックアップするから、どんどんやっていい。プライバシーの問題だけ気をつけないといけないけど、どこに許可を取ったか聞かれたら、本来許可とかいらないんだけど、うちの課が許可したと言ってくれていい」と心強い返事をもらった。

 

私は喜んで会長や副会長に報告し、自治会名(準備中)という名前のInstagram(非公開アカウント)を作り、発信をした。

どこにもPRしていないのでフォロワーはほどんどいなかったが、半年間、行事があれば発信しながら、年度末の総会に向けて準備をしていった。

総会というのは、毎年4月に決算報告や活動予定などを審議し承認を得るものだが、会長が「Instagram配信についても総会で承認を得た方がこの先やりやすいはず」と言った。

「デジタル関係のことは私にはちっとも分からないけど、あなたがしようとしていることは良いことだと思うから」と、会長は分からないなりにも理解しようとしてくれていた。

各役所がやっているSNSについての運用ポリシーを読み漁り、自治会のものを作り上げ、準備は整った。

 

ところで、敬老行事には以前私に「あんたみたいな若いのがいるから日本がダメになる」と言ったおじいちゃんも来ていた。

ちょっと足腰が弱っていたけど、お元気そうで何よりだった。

 

私はおばあちゃん子だったが、決してお年寄りが好きというわけではない。

けれども、町内で餅つきをした際、1人のおじいちゃんが私のところにきて、「今日はありがとう」と頭を下げた。

何のことかと思って黙っていたら、「餅つきの準備をしてくれてありがとう。餅が美味しかった。これで正月が迎えられる」と言った。

この方にとっては、餅つきをしたら正月が来るという感覚なのだろう。

私には、スーパーに行けば年中餅は売っているし、特別な感覚はなく、餅つきはめんどくさい行事だった。

餅つきをしたら正月が来るという、自分には無い感覚に触れ、大切にしなければならない行事なのかもと思った。

 

敬老行事では皆さんお弁当を食べ、お茶やビールを飲み、楽しそうにしていた。

「また来年もお会いしましょうね」と声を掛け合っていたのが印象的だった。

いざ、自治会の役員会議へ!のつづき

2023年9月、集会所に着くと、会長以外に男性が4名、女性が2人、いずれも私よりは年上で、60代〜80代だった。

私は挨拶をして、役員会議に参加した。

後から知ったが、私が参加することをほとんどの役員は知らなかった。

 

私は、自治会加入者から不公平だと言われているゴミステーションの掃除を業者にお願いしてはどうかということを提案した。

町内に25ヶ所あるゴミステーション(鉄製のカゴでできており丈夫)を当番で掃除しているのは自治会加入者であるが、加入していない人は町内会費も払わずゴミだけ出して掃除はしない、不公平ではないかという声が以前からあったからだ。

 

未加入者にはゴミステーションを使わせないという意見もあったそうだが、それだと、カゴの外に置かれた未加入者のゴミをカラスが荒らし、それを加入者が掃除するという事態が起こり、住民が分裂するのが容易に想像できた。

未加入者だけのゴミステーションを自分たちで作らせてはどうかという意見もあったらしいが、村八分みたいなものだし分裂を助長すると感じた。

そこで、ゴミステーションは引き続き使ってもらい、未加入の方にゴミステーション維持管理費と防犯灯維持管理費をご協力いただきたい旨のチラシを配ってはどうかと提案した。

業者に掃除をお願いするにはお金もかかるから、少しでも負担いただければと思った。

当然、誰がチラシを配り、集金に行くのかという話になる。

組長たちは、自分の組で未加入の家をだいたい把握しているから、お願いすればチラシ配りくらいはしてくれるかもしれない。

だが、組長が集金を行うとなると反発が予想された。

誰だって、よく知らない家に集金に行くなど嫌なのだ。

そこで、ホームページを作り、そこを事務局にして、ご協力いただける未加入の方からそこに連絡をもらい、個別に役員が集金をしてはどうかと思った。

事務局として、メールや電話の管理など、私がしてもいいと思っていた。

とにかく、ゴミステーションは自治会が設置し、防犯灯や防犯カメラも自治会が申請して設置していることや、そこに年間いくらかかっているのかも知ってもらうことが大事だと思うと話し、資料もあらかじめ準備した。

 

すると、男性(60代)が口を開き、「こんなこと、俺は聞いてない!」と言って机を叩いた。

会長に対して、「こんなことを提案して、何も聞かされていないのに、何なんですか!」と怒り、「早退して今日の会議の資料を作ってきたのに、これじゃ必要なかったですよね!君も、勝手にこんな資料を配ったらダメだよ!!」と私の資料を手に取り机に投げつけた。

副会長の1人かと思っていたが、「資料を作った」ということは、書記だった。

頭まで真っ赤にして怒っていた。

会長に向き直り、「何事も私に一番に話してと言ってるでしょう!」と声を荒げたが、なんで?と思った。

副会長の1人が、「会長、前もって言ってなかったからいけないんじゃないの。ここは、ひとまず謝って」と言った。

会長は、不本意そうにしながらも「すみませんでした」と頭まで真っ赤にしている書記に謝った。

すると、「謝って済む問題じゃないんですよ!!」と怒りをエスカレートさせ、その場を収めようとした副会長にも「あなたも悪い!そんなことをされても、納得できませんよ!!」と大声で怒鳴った。

私は黙って座っていた。

敵意をむき出しにして怒鳴られたり、何かを投げつけられたりしても、泣き出すような歳ではないのだ(悲しいけど)。

その頭まで真っ赤は方(しつこくてごめん)は、プンプン怒りながら帰って行き、やれやれという雰囲気で役員会議は終了した。

結局、準備した資料に沿った話し合いは持てなかった。

そして次の日、「会長のやり方にはついていけないので、書記をやめます」と言い、彼は辞めた。

私に「勝手にこんな資料作ったらダメだよ!」と言った彼は、勝手に辞めた。

私は「勝手に辞めたらダメだよ!」と言いに行きたい気持ちだった。

会長は自分のやり方が悪かったのだと自分を責め、他の役員に頭を下げて回った。

すると役員から、「あの子に書記を頼んだ方がいい」との声があったそうで、会長は申し訳なさそうに私のところに頼みに来た。

そんなこんなで、2023年10月から私は書記になったのだった。

いざ、自治会の役員会議へ!

私は2012年(平成24年)に今の家に引っ越し、3年後に組長が回ってきた。

その時のことから書くと長くなるのだけど、かいつまんで書いておきたい。

犬たちとのんびり暮らしたいと思って戸建てを探し、この家を見つけ購入した。

売主さんが町内会に入ること前提でお話をされたから、あまり疑問にも思わず当時の組長さん宅へ入会申し込みをしに行った。

 

最初に払ったお金は、自治会加入金5000円、防犯灯維持管理費5000円、集会所負担金15000円、自治会費(月額)500円、夏に引っ越したので自治会費は6ヶ月分の3000円で、合計で28000円にもなった。高いよね。

その時売主さんは、防犯等維持管理費と集会所負担金は家を建てた際に支払ったから、払わなくていいと思うと言われたため、組長にその問い合わせをしたところ、「町内会長に直接聞いてほしい」との返事だった。

町内会長(男性:おそらく70代)に電話でお伺いをしたら、「売買で手に入れた家なんだから、払うに決まってるだろう!あんたみたいな若いのがいるから、日本がダメになる」と頭ごなしに言われ、「払いたくないわけではなく、どちらが本当なのか知りたかっただけです」と返事をしたら「ああ、そうなの」とのことであった。

 

それから3年経ち、組長が回ってきて、組長会議に行ってみたら町内会長は別の人(男性:60代)に変わっていた。

以前の人に比べ民主的な人だと思った。ちなみに、間で何回か人が変わったが、今年度もその人が会長をしている。

2015年(平成27年度)に組長を1年して、なり手がおらず、2016年(平成28年度)の副会長を頼まれた。渋々OKし、当時は会社勤めをしていたため本当に大変だったがなんとかやり遂げた。

その次の年も副会長をやってもらえないかと会長はじめ次に副会長を選出する組の組長さんからも懇願されたが、丁重にお断りして、7年が経った。

その間も犬の散歩中に会長とばったり会っては、お話を聞いたり、世間話をして過ごしてきた。

 

そして2023年(令和5年度)の夏、町内でばったり会った会長が痩せて小さくなっていたことに驚いた。

聞けば、組長会議で毎回揉めて、参っているとのこと。

もともと小柄な方だが、現在70代の会長は背中を丸くし、元気がなかった。

 

この数年、役所で仕事をして色々な人に関わり、産業カウンセラーとしてクライエントと向き合ったりする中で、自治会(町内会)は0歳から100歳くらいまでが存在していて、会社とは違ったコミュニティととらえると、面白い集まりだなと考えるようになった。

主人は「たまたま近くに住んでいるというだけのこと。自治会などなくなっても構わない」と言うが、そう簡単に無くせるものでもない。

 

私は、自分の考えを聞いてもらいたかったので、役員会議に出向いた。

もちろん、会長から来てほしいと言われたからだった。

自治会(町内会)とは〜夫の名言出た

自己紹介。

はじめまして^^

今の家に引っ越して10年とちょっと。40代夫婦です。

夫は会社員で私の経歴は秘書、営業、事務、産業カウンセラー、キャリアカウンセラー。

趣味でアクセサリーを作ったり陶芸をやったりなど。

度々、自治会(町内会)に触れ、いろんなことを思いながら生活してきました。

組長、副会長、会計の手伝い(パソコンが使えない方だったため)を経て現在は書記。

 

メインブログもやっているけど、テイストが違うし、いいことも悪いことも本音をきちんと書きたかったので自治会のことを書いたブログを立ち上げました。

どうぞよろしくお願いします。

 

私が住んでいるところは福岡県のとある市。

世帯数約600。自治会加入率約82%(高い!)

会長1名、副会長3名、書記、会計、組長さん合わせて35名。

その他、監事や福祉関係の委員、体育委員、神社関係、消防団まで合わせたら合計70名の役員や委員で構成。

 

今日は、自治会活動に疲れ切った私を見た夫の名言を書いておきます。

自治会(町内会)とは、時間を無駄に費やしてストレスを溜める活動」

ほんとその通りだわ。